Spielraum — 遊動空間 —

— 制度的規整の機能と限界 —

ベルンハルト・ワルデンフェルス/水谷正彦 訳
『理想』1984 5 No.612 特集:現象学

 芸術の規則にのっとって行動するとき、われわれは至ところで吟味済みの規則性と天才の独創的な無規則性とが対立し、規則性の杓子定規な強制と天才風の奔放とが互いに批判しあうのをみる。しかし、だからといって規則と法則の性格そのものが犯しがたい諸規則に従っているとは言えない。近代が動揺していくきざしのなかで、規則に規定されるもの(Geregelte)と規則に規定されないもの(Ungeregelte)の関係についての古くからある問いが新たな光の下に連れ出される。
 出来上がった意味よりも、意味の生成にねらいを定める現象学が成り立つとすれば、それこそこの問題を手がけるにふさわしいものであろう。まず、行為は徹頭徹尾規則に規定されているのではなく、単に規則に従うだけにはとどまらぬものであるということがすべての行為に関して言える。これは一般的開放性(generelle Offenheit)という形で問題にすることができる。つまり、規則は行動の一般的な指令なのであって、この指令によってすべての適用例と遂行条件が先取りできるわけではないのである。例えば、テニスの規則はボールをどのくらいの高さまで打ち上げてよいかということを指定しはしない(Wittgenstein 1960, No68)。またゲームにはエレガンスということがあって、それも同様に規則から導出することはできないものである。われわれの行動はつねに一定の遊動空間(Spielraum)のなかで動いている。

印象 入射する光
受光するフィルム/イメージ・センサー
現像 浮上する影 表現?
Impression or Expression
印象と表現 受動と能動
その転換点の特定の試みと破綻の記録

fifth Season

季節の回帰性がもたらす春夏秋冬という概念。
ふとしたはずみに何処に帰属すればよいのか戸惑う空気。
空隙、狭間、魔逢時、Twilight Zone、8月のサンマもサンマは「秋刀魚」

Blues 2007

ブルー・ノート・スケール
いやいや、ただただ日常の「憂鬱」
いやいや、ただただただの「Blues」

Monochrome 2007

白と黒という絶対的な二項の間には無限の「色」が存在する。
それはあたかもE.レヴィナスの著書「全体性と無限」の表題そのままである。
あるいは、エッシャーの騙し絵か?
白と黒で構成される全体性の中に閉じこめられた表現の可能性の無限。
あるいは写真という具象の道具が白黒という抽象を表現するという矛盾。
全体性と無限 具象と抽象 即ち「Monochrome」

Hana ~2007

季節という再帰性、回帰。
約束された循環のなかでくりかえされる宴。
咲誇る桜の下で仮初めに放散する狂気。
華の散り際は一夜限りという一回性。
以降、何回、花の季節は巡りくるだろうか・・・。

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