彷徨する言葉と意味

明晰な知の運動がある瞬間、全くの無知であることを自らの意識に曝しだす。例えば古井由吉の小説はそのような瞬間から始まるのではないか。あるいは次のようにいえるかもしれない。作家という存在が言語表現の可能性の担い手であるとすれば、古井由吉はその可能性の終焉から出発すると。
いわゆる小説というものが「何か」についての言語表現であるという自明性を引き受けるとき、しかし古井由吉の視線からはもはや「何か」という対象の確かさが欠落している。

人の顔ならば、いつでも、誰にも見られていない時でも、たえず無意識のうちに発散させている体臭にも似た表情があるものだ。そんな表情まできれいに洗い流されたように、その顔は谷底の明るさの中にしらじらと浮かんでいた。そうかといって、よく山の中で疲労困憊した女の顔に見られるように、目鼻だちが浮腫の中へ溺れていく風でもなく、目も鼻も唇も、細い頤も、ひとつひとつはくっきりと、哀しいほどくっきりと輪郭を保っている。(古井由吉『杳子』)

それは人の顔でないように飛びこんできて、それでいて人の顔だけがもつ気味の悪さで、彼を立ちすくませた。ところが、顔から来る印象はそれでぱったり跡絶えしまって、彼はその顔を目の前にしながら、いままで人の顔を前にして味わったこともない印象の空白に苦しめられ、徐々に狼狽に捉えられていった。
谷底に一人で座る杳子の姿を捉えた彼(S)の視線がさらに捕捉する杳子の顔は今や彼にとって翻訳(=伝達)可能な顔ではない。それはこれまでに彼の視線が捉えてきた数々の顔を表現する言葉を受け付けない、「それではない」顔としてのみ伝達が可能なのである。彼の視線の先にある顔は既に具体的な対象としての顔ではない。今や、その顔は顔としては不在であるにもかかわらず、顔として描写される。古井由吉の小説は、このとき「顔」という対象、作家の意識が向う先にある対象の不在において成立している。「表現というものの無力さの認識」において表現(=小説)を実践する逆説。それは現在、「小説」が不可能であるということの認識、換言すれば、小説の不可能性における「小説」(言語表現)の試みではないか。
「脱イデオロギーの内向的な文学世代」という言葉によって、いわゆる「内向の世代」を批判した小田切秀雄は、作家という概念、つまり作家の社会への思想(意識)的アンガージュマンを最後まで信頼していた、あるいは信頼しようとしていた。

さいきん注目されるようになった新人作家・批評家たちは、若干の例外を除いて、自我と個人的状況の中にだけ自己の作品の真実の手ごたえを求めようとしており、脱イデオロギーの内向的な文学的世代として一つの現代的な時流を形成している。(小田切秀雄「満州事変から四十年の文学の問題」)

この小田切秀雄の批評に対し、柄谷行人は小田切を外界の「確かさ」という雰囲気に寄り掛かるオプティミズム(柄谷行人「内面への道と外界への道」)、と評することで、俗に謂う「内向の世代論争」が形成されることとなる。

小田切氏らは、彼ら(内向の世代)の「方法的懐疑」をたんなる「脱イデオロギー」「脱政治」と解してはばかるところがない。それはむしろ羨望すべきオプティミズムといわねばならない。外界が確実にみえていることを疑ったことすらないことを、それは示しているからだ。(柄谷行人「内面への道と外界への道」)

小田切秀雄にとって作家とは常に「自我と個人的状況」、すなわち、私人であることを越え出て、なお普遍たりうる思想それ自体のことであり、理論と実践の二つの契機を意味的統一として具現化する実存なのである。作家とは自身の強靱な意識を拠所に、常に外界を対象として捉え、そこにアンガージュマンする存在なのである。
小田切秀雄の信念とでもいうべきアンガージュマンする作家は、しかし、「文学と政治」という枠組みを越えて「作家と言語」というあらたなシェーマのもとで次のようにその場所を与えられる。
二十世紀最大の発見の一つ、無意識に確かな存在の根拠が与えられると、作品の起源に君臨すべき作家はそこを言語という抽象性にとって替わられる。言語がその絶対的な優位性を誇示するや否や、作家は作品の主人たる地位を剥奪される。作品世界の創造主たる作家の、当の創造世界に対する責任についての不信、(「作家は自らの作品世界について何も知りはしない」M.ブランショ)は、逆に作家をこそ存在せしめる言語の強度への信頼へと移り変わる。作品が作家に属するのではなく、作品によって初めて作家が作り出されるというのである。
作家は今や強靱な自身の意識を前提とすることによって、普遍的な意味としての思想(人生)を語るのでもなければ、孤独な内面の特殊性(私生活)を幾許かの才能によって公共性へと昇華するのでもない。作家とは、ただ言語の操り人形となることを承諾することによってのみ幽かな輪郭が与えられる空虚な存在であるというのだ。作家はもはや自らの意志によってはどこにもアンガージュマン(関与)することはない。ただ言語によってアンガージュマン(拘束)を強いられるに過ぎないのである。
「作家と言語」という問題構成の中で、作家が言語表現の前景から退き、替わって、言語が台頭する状況、作品の作家に対する優位性は端的にポスト・モダニズムとして時代の、あるいは思想の寵児としてもてはやされる。柄谷行人が述べる「内面への道とはいわば外界への道にほかならない」とはしかし、たんにポスト・モダニズムを示唆するものではない。それは、古井由吉の視線を補助線として見つめ直すとき、おそらく小林秀雄によって提起された「私小説」の問題(=私小説論)として扱われるべきことである。だかここで性急に「私小説」について触れることは避ける。しかし、柄谷行人が「内面への道」を「方法的懐疑」と評したことは注視に値する。そこには自己意識に充足する安穏とした批評や、徒に主体を回避するポスト・モダニズムはない。
古井由吉の視線はもはや「外界を確実に捉える」ことの破綻を呈している。それゆえ逆説的ではあるが、氏にとっては小田切秀雄が考える以上に作家のポジション(=アンガージュマン)・役割・自身の視線が極めて意識的に、意図的に配置されることとなる。柄谷行人のいう「方法的懐疑」とは古井由吉にとってはまさに自身の視線というアンガージュマンにほかならない。そしてこの視線=アンガージュマンは常にかつ既に古井由吉というその人の「方法的懐疑」を離れて方法一般に解消される宿命を負う。

本書につけ加えるべきことはとくにないが、ありうべき誤解をさけるために一言いっておきたい。それは、『日本近代文学の起源』というタイトルにおいて、実は日本・近代・文学といった語、さらにとりわけ起源という語にカッコが附されねばならないということである。本書はそのタイトルが指示するような「文学史」ではない。「文学史」を批判するためだけ文学史的資料が用いられているのである。だから、本書がもう一つの「文学史」として読まれてしまうとしたら、私は苦笑するだろう。しかし、本書を回避したところに生きのぴるだろう批判的言説に対しては、欄笑するだけである。(柄谷行人『日本近代文学の起源』あとがき)

おそらく、柄谷行人本人の但書にもかかわらず実際「苦笑」と「欄笑」は同時に実現されている。『日本近代文学の起源』は「文学史」に対する批判としての役割を全うすると同時に、その瞬間、新たな「文学史」の起源として機能する(内面化=一般に解消される)ことによって「苦笑」を招き、さらにこの新たな「文学史」を相対化しようと努める批判的言説=批評によって確固たる「文学史」のポジションを与えられることにより「作家=柄谷行人」の「憫笑」を得ることになる。
およそ、「方法的懐疑」とはそれがマジョリティーに対するカウンターとして働くからこそ「懐疑」なのである。「方法的懐疑」が「方法」一般として受け入れられるときそのカウンターパワーとしての本質は既に変質している。そして、作家とはこの「方法的懐疑」の危機を「書き続ける」という行為によってのみ乗り越えようとする存在である。
どれだけそれを拒否しようとも、あるいは論理的に否定しようとも、小田切秀雄に見る素朴さ、換言すれば作家は情念の深奥で透明な表現への到達、思考と言語と自身との三位一体、そして言葉と対象の一致という信念によって、自らの意識としての作家のポジションを確実にしようと奔走する。しかし、意識としての作家、言語によって思考する人間にとって、当の言語が思考によっては手に入れられぬということの驚異は、作家から言語への信頼の転回を余儀なくする。細心の注意と先回りによって「苦笑」と「憫笑」を自嘲というパフォーマンスを演じることで回避しようとする註釈すら無視し、言語は既に作家を置去りにしてその先へと進む。そして作家の否定は逆説的に意識としての個人をコギトから救いだすことで、私を責任(罪)から解放する。
先験的な実体としての作家を否定し、思想としての作家に終止符を打った言語が準備したものとは、無意識である。意識の背後にあって、その活動を基礎付け、またこの意識を錯乱へと誘う無意識。この無意識の誘惑によって、意味の起源は意識の場面から無意識の暗やみへと移し替えられる。このとき主体の根拠としての自意識は棚上げされることで自己同一性という拘束(アンガージュマン)から解放される。アイデンティティという自意識の神話は意味の産出の起源という責任から解放されることによって解体される。そのかわり無根拠となった自己が、言語内の自由を無限の自由と錯覚し、幻想の渦中に戯れる。この幻想の只中で、私はその行為についてのすべての責任から解放される。もはや私に対してはどのような審級も、どのように悪意に満ちた陪審員たちもその責任(罪)を問う事はできない。私は無罪だ。いやそもそも罪という事態、すなわち私自身であるという、内在的な根拠が喪失したのである。
無根拠な自己を演出する演出家は、もはや自己の内部、私の意識ではない。「犯罪者」はつねに精神鑑定(言語の審判)の結果、「狂人」として扱われることによって、その責任能力(自己同一性=罪)を否定され、不在となる。ただしこの不在は一瞬でしかない。次の瞬間、彼は既に別人である。そして、事後的に新たに形成される私がつねに手元に置かねばならぬもの、それは一冊の辞書より他にない。言語(無意識)にその身を委ね、そのつど不定形に表象される主体の輪郭は、その輪郭が受容されうる社会的事実、強固にして動かし難い言語の体系のみを必要とする。強固な言語の体系、それはシニファンとシニフィエの一義的な結びつきの体系、辞書という一冊の書物にほかならない。そのつど新たに更新される私は辞書に収められた各分類項目の間を、あるいはその語彙の間を自由に飛び移る。「犯罪者」は次の瞬間、既に別の名辞とともにある。私は語彙の総体を、すなわち選択肢の総体を気ままに渡り歩いているに過ぎない。さらに私はその選択肢を選択(=排除)すらしない。辞書とはすなわち侵すべからざる全体性(=有限性)なのである。意識における自己充足としての私とは、言語の審判の前で自己同一性という責任から解放されることで、再び言語という全体の中に連れ込まれ安息する「狂気」に憑かれた私のことである。

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いつの日かMacを自在に操りたい

飼主がMacを使いはじめたのは、少し昔の話になる。ただ、それが「せんきゅうひゃくなんねん」だか、正確には記憶していない。手に入れたMacはPowerMac 7200、PowerMacが示す通り、おそらくその頃からMacはpowerPCの搭載をはじめた。OSは漢字Talk7.2くらいからスタートしただろうか・・・。

当時のMacはおもにCanonが扱っていて、地方都市にもCanonゼロワンショップなるものがあり、Mac本体をはじめ、プリンタなどの周辺機器もこのゼロワンショップで実機に触れることができた。

Macを手に入れた年次の記憶はないが、季節の記憶は辿ることができる。それは「ふゆ」であったに違いない。最初に手に入れたMacで最初にハマったのが「まきがめ」と云うゲームだった(このゲームはおそらくいまでも存在する)。そして、家人とともにその年は「まきがめ」で越した。

「マウスのコードが足りない!! どうすれば???」と絶望しながら・・・。

そんな飼主だが、いまもMacで夜が明け、日が暮れる毎日が続いている(決してMacが食扶持となっているわけではないのだが)。

さすがにマウスはコードレスとなり、「足りない」と云う物理的事態からは解放されたが、日々向き合うFileMakerやApple Script、HTMLやCSSには相変らず冷たくあしらわれている(加えて最近、Objective-CやらPHP-WordPress程度にも翻弄されはじめた)、と云う意味では、未だにマウスのコードは足りていない。

ただ飼主は、それでもいつかはMacを自在に操ってカッコいい毎日を過ごしたいと心底考えている。だから、このSiteには、こんなそんなの飼主の思いがあちこちに明け透けに垣間見られる。

以後、ご容赦いただきたい次第である。(20140809:飼主だん 0001.1)